プリシラThe Adventures of Priscilla, Queen of the Desert/監督:ステファン・エリオット/1994年/オーストラリア
3人のドラァグクイーンが、砂漠を旅します。
10年ほど前に1度見ています。
そのときは、「最初のシーンで泣きそうになった。ドラァグクイーン映画は真面目になりがちよね」って書いてました。見返してみると、冒頭からなんでもないシーンまでずっと泣いてしまってどうにもならず…そしてなぜ泣くのかまったくわからないのでした。感情移入とかじゃないんだよね。
あらすじ:3人のドラァグクイーンが「プリシラ号」に乗って砂漠を旅します。
最年長のバーナデット(テレンス・スタンプ)は性転換しています。ミッチ(ヒューゴ・ウィーヴィング)はバイセクシャル、フェリシア(ガイ・ピアース)は若くて脳天気。今思えばすごい豪華だね、ゾッド将軍とエージェント・スミスと「メメント」…。
- おすすめ
ポイント - ちょいちょい挟まれるショーのシーンが豪華。アカデミー衣裳デザイン賞受賞。キャラクターもすごくいいです。ちょうおすすめ。
都会から離れていくにつれ、街の人たちは保守的になるため、3人が歩いていたりバーに入ったりすると化け物扱いされるんですね。それでも切り抜けていくのだけれど、鉱山にある町だけはダメだった。
この町のビデオ屋のシーンでフェリシアが「The Texas Chainsaw Mascara」って言うんだけど字幕は「マスカラ殺人鬼」になってて、これは「オカマのいけにえ」のほうがわかりやすいんじゃないかなあ。(※)
真っ赤な土地と真っ青な空の間に、ギラギラのドレスをまとったドラァグクイーンという対比が素晴らしくてですね、わたしはドラァグクイーンがすごく好きなので、これだけでもうグッとくる。
都会は住みにくいと思っていた、でも田舎に来てみたらもっと大変だった。自分たちを守ってくれる喧騒のない場所で、お互いと向き合い、自分と向き合い、そして愛する人を見つけるわけです。
わたしね、最初に見たとき、ミッチの子供、ベンジー(マーク・ホルムズ)がちょっと理解ありすぎるんじゃないかと思ったんです。でもこれって、ミッチみたいな人、バイセクシャルで子持ちって結構いると思うんですけれど、こういう人にとっての理想なんじゃないかと思ったんです、理想だったら、理解がありすぎてもいいんじゃないかと。
もっと対象を広げて単にゲイというだけでもいいんだけど。一番理解してくれなさそうな人が、すんなりと理解を示してくれているばかりか、そこになんの疑問も持っていない。恐れることはない、ごまかすことも、嘘をつくこともない、無理をして性を偽る必要がない…。
本来なら当たり前のことを、理想として描かねばならない悲しさも、あります。
ショーのシーンはどれも最高に素晴らしくって、やっぱりね、ドラァグクイーンの出てくる映画はショーが命ですよ。
テレンス・スタンプが他の2人からワンテンポ遅れて踊るのが、優雅でもありちょっと滑稽でもあってほんとうにかわいらしい。
わたしがドラァグクイーンを好きなのは、過剰に「女らしさ」を強調しているからなんですよね。佐藤かよみたいな、「普通の女の子」は、そんな好きでもないんです。筋肉がぶりぶりで、つけまつげも特盛りっていうのがいい。まあだから言ってしまえば小悪魔agehaみたいなのも好きなんです。小悪魔ageha系は筋肉ないからいまいちっていうだけで。
そういうわたしの好みを、差別していると受け取られても、これはしかたがないかなあ。なにも反論できないですよ。わかんない。
わたし昔母親に、「あんた、黒人俳優好きって言うけど、それも差別だからね!」って言われたことがあって、なんか、好きって言うのも差別なの? それとも母は「黒人」ってとこに反応したのかな。そしたらおかしいのは母のほうだと思うけど…。
でも、「差別だって思う人がいればそれは差別です」とも言うじゃないですか。うーん。わたしはこれからも女装映画とかゲイ映画とかについて感想書くとき、脳天気に好きだって言いますけれど、わたしには差別しているつもりはないってことだけは、わかってほしいです。せめて。好きって言うのも封じられたら、ほんとどうしていいかわからんよ…。差別ってなんなの…。差別のばか…。
※追記:ブルーレイだと、ここの字幕が「悪魔のいけにえ」になってたよ…。
この町のビデオ屋のシーンでフェリシアが「The Texas Chainsaw Mascara」って言うんだけど字幕は「マスカラ殺人鬼」になってて、これは「オカマのいけにえ」のほうがわかりやすいんじゃないかなあ。(※)
真っ赤な土地と真っ青な空の間に、ギラギラのドレスをまとったドラァグクイーンという対比が素晴らしくてですね、わたしはドラァグクイーンがすごく好きなので、これだけでもうグッとくる。
都会は住みにくいと思っていた、でも田舎に来てみたらもっと大変だった。自分たちを守ってくれる喧騒のない場所で、お互いと向き合い、自分と向き合い、そして愛する人を見つけるわけです。
わたしね、最初に見たとき、ミッチの子供、ベンジー(マーク・ホルムズ)がちょっと理解ありすぎるんじゃないかと思ったんです。でもこれって、ミッチみたいな人、バイセクシャルで子持ちって結構いると思うんですけれど、こういう人にとっての理想なんじゃないかと思ったんです、理想だったら、理解がありすぎてもいいんじゃないかと。
もっと対象を広げて単にゲイというだけでもいいんだけど。一番理解してくれなさそうな人が、すんなりと理解を示してくれているばかりか、そこになんの疑問も持っていない。恐れることはない、ごまかすことも、嘘をつくこともない、無理をして性を偽る必要がない…。
本来なら当たり前のことを、理想として描かねばならない悲しさも、あります。
ショーのシーンはどれも最高に素晴らしくって、やっぱりね、ドラァグクイーンの出てくる映画はショーが命ですよ。
テレンス・スタンプが他の2人からワンテンポ遅れて踊るのが、優雅でもありちょっと滑稽でもあってほんとうにかわいらしい。
わたしがドラァグクイーンを好きなのは、過剰に「女らしさ」を強調しているからなんですよね。佐藤かよみたいな、「普通の女の子」は、そんな好きでもないんです。筋肉がぶりぶりで、つけまつげも特盛りっていうのがいい。まあだから言ってしまえば小悪魔agehaみたいなのも好きなんです。小悪魔ageha系は筋肉ないからいまいちっていうだけで。
そういうわたしの好みを、差別していると受け取られても、これはしかたがないかなあ。なにも反論できないですよ。わかんない。
わたし昔母親に、「あんた、黒人俳優好きって言うけど、それも差別だからね!」って言われたことがあって、なんか、好きって言うのも差別なの? それとも母は「黒人」ってとこに反応したのかな。そしたらおかしいのは母のほうだと思うけど…。
でも、「差別だって思う人がいればそれは差別です」とも言うじゃないですか。うーん。わたしはこれからも女装映画とかゲイ映画とかについて感想書くとき、脳天気に好きだって言いますけれど、わたしには差別しているつもりはないってことだけは、わかってほしいです。せめて。好きって言うのも封じられたら、ほんとどうしていいかわからんよ…。差別ってなんなの…。差別のばか…。
※追記:ブルーレイだと、ここの字幕が「悪魔のいけにえ」になってたよ…。
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