ブレードランナー 2049/俺は一体何者なんだ?

ブレードランナー 2049Blade Runner 2049/監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ/2017年/アメリカ


正当な血筋の続編という趣でした


新宿ピカデリー スクリーン3 L-14で鑑賞。前作は見ています。私は前作のときは生まれていなかったため、劇場では見ていません。リバイバル上映などにも行ったことはありません。

あらすじ:デッカードを探す。

ネタバレしています。ネタバレ前には注意書きをしています。

おすすめ
ポイント
さすがにこれは前作を見ていないとわからない話だと思いますがそれは同時に前作好きな人には刺さるという意味でもあります。

私たちは『ブレードランナー』的なルックの映画をたくさん見てきた。それはいかに『ブレードランナー』が愛されているかということの証明にもなり、かつ、「いつまでも『ブレードランナー』の、ある種の呪いからは解き放たれないのか?」ということでもあった。


見る前に最も危惧していたのは、ここ。凡百の「『ブレードランナー』風の何か」と同じようなルックである可能性は僅かにだが存在した。が、まったくの杞憂であった。繰り返しになるが、「これは紛れもなく『ブレードランナー』だ。本家であるのだ」という力を見せつけてきた。その圧倒的な世界観で。その圧倒的な「CGと実写の区別がつかない映像」で。少しだけ出て来る程度のガジェットにも気を配って。既視感を超えたところ、ああ、ここが戻ってくるべき場所だったんだなと少し安心できるようなところ。『ブレードランナー』前作を意識したカットやセットの作り方があり、それらすべてに誇り高き魂を感じる。


物語について。ジョイは非常によく出来た「男性向けのサービス」である。従順で主人を愛し、見目麗しい、「人ではない、モノ」。Kは孤独からジョイを使用しているのだとはわかるが、あまりにもジョイが「愛ゆえに、貴方に従う」「愛ゆえに、貴方を救おうとする」という人格(プログラム)の持ち主であるため、スクリーンからヴィルヌーヴのやや偏った女性観が透けて見えるようにも思った。


※以下ネタバレを含みます。

私がいらないと思ったのは、ラスト。研究所の外階段で寝転んだライアン・ゴズリングのカットで終わって良いと思った。が、「彼女がハリソン・フォードの娘である」ことを映像としてハッキリ残しておかないと、わからないという人が出てくるのではないかと予想した。でも、研究所についた時点で、そこに誰がいるのかはわかるから、ラストはなくても伝わったと思う。父娘のぎこちない再会を描きたかったのであれば、入れていて当然とも思う。

エンドロール中に急に泣けてきて困った。私は何に泣いているのだろう。ジョイの存在とその扱い?レプリカントに生殖能力があるという切なさ?若いレイチェルが出てきたうえに、あっけなく殺されたこと?老いたハリソン・フォード?寡黙なライアン・ゴズリングがゆいいつ声を荒らげるシーン?絶望の淵に立ったときの、人の表情?「自分だと思っていた?」と言われたときのKの気持ちを考えて?おそらくそれらすべてが、押し寄せてきたのだろう。この時代に『ブレードランナー』を見られた、という、喜びとともに。

photo
ブレードランナー ファイナル・カット [Blu-ray]
ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント 2017-09-20

by G-Tools , 2017/11/05

JUGEMテーマ:映画

この記事のトラックバックURL

※記事の内容に関係のないトラックバックは削除する場合があります。
※トラックバックの反映には時間がかかる場合があります。
※リンクのないトラックバックは反映されません。

トラックバック
おじいちゃん映画
記事検索

現在931件の記事があります。

最近の記事
週間人気記事ランキング
ブログパーツ
プロフィール
ナイトウミノワ

ナイトウミノワ

twitter flickr facebook google+ instagram

映画と球体関節人形が好き。SF映画とコメディ映画、アクション映画、おじいちゃん俳優好き。

カテゴリ
RSS
ブログの内容を気に入って頂けましたら、RSSリーダーの登録をよろしくお願いします。
RSS
おすすめ映画
月別アーカイブ
リンク
その他
無料ブログ作成サービス JUGEM