話は繋がっていないのだが、『X-MEN:フューチャー&パスト』(2014年)でのハッピーエンドのあとにこんな話をやられてしまうと大変つらい。どこからも繋がっていないということはどこからでも繋がるということで、『ウルヴァリン:SAMURAI』(2013年)からの繋がりは日本刀の存在により確認できるが他はわからない。今回復習したのは『X-MEN:アポカリプス』(2016年)だけなので抜けがあったらすみません。
舞台を2029年(確か)にしたわりに、未来感があまりないのが良かった。田舎だからか。ミュータントらは滅びかけ、プロフェッサーXはおそらくアルツハイマーにより何かを受信したりしている。私の心が拒否するくらいにパトリック・スチュワートの姿は見るに堪えないつらさがある。
ストーリーはシリーズいちミニマムであり、ウルヴァリンは世界を救う者ではない。というか世界に危機はおとずれていない。実質ロードムービーなのだ、ヒーロー映画ではない。この映画を評して「ヒーロー映画が苦手な人にもお勧め」と言った人がおり、私はそういう言い方があまり好きでないので映画を見る前には、なんだかなと言ったのだが、見終わった今、あーたしかに、ヒーロー映画が苦手な人でもこれは見られるなと思った次第である。ヒーロー映画、のどこに重きを置くかで話は変わってくるが、ともかく。ただ、今までヒーローとして戦ってきた者の悲哀が描かれているため、復習せずに、これだけいきなり見てもウルヴァリンとプロフェッサーXがどういう人なのか、なにが起きてこうなっているのかはわからないだろうとも思う。わかろうと思ったら『X-MEN』(2000年)から見返すことになるので一緒かも。
※以下ネタバレを含みます。
とにかくウルヴァリンが具合悪くて参った。まともに歩けもしない人が、車椅子のちょい面倒くさい老人と、無口で何をしでかすかわからない正体不明の少女を連れて旅をするのである。具合の悪さはやや過剰とも言えるほど。この映画は全体から死臭が漂っていて、私が中見出しに「すっきりした別れとはいかない」と書いたのもそのせい。花束を投げキスを振りまくようなラストではなかった。
「人は変われない、人を殺したら、それが正しくても、人を殺す前には戻れない」、みたいなことを言う映画でものすごく人を殺す。けっこう引くくらい殺し方が残忍である。ローラにとってもローガンにとっても、それは「いまさら」なことかもしれない。「いまさら、人を殺すなと、言われても」。ヒーローであるにも関わらず人を殺す、ということに関しては、ちょっと前にTwitterで話題になっていた「ジェームズ・ボンドが一般人のバイクを盗むのが気に入らない」というのにも通じていると思う。今まで「これは仕方のないことで、何の恨みもないが殺されても盗まれてもしょうがない」というような文脈で見過ごされてきた盗みや殺人の罪を、最後の最後で明らかにし、償わせようとしているのだろうか。もし償いの意味があるとしたら、プロフェッサーXがX-24に殺されてしまうのも納得いく気がする。厳密には同一人物ではないとはいえ、老後の面倒を見るに至るまでの付き合いがあったウルヴァリンがプロフェッサーXを殺してしまう、恨みからなどではなく、というところになにかあるのではと思う。
ちなみに私が好きな順序はこう。『ローガン』を見る前に書いたもの。
舞台を2029年(確か)にしたわりに、未来感があまりないのが良かった。田舎だからか。ミュータントらは滅びかけ、プロフェッサーXはおそらくアルツハイマーにより何かを受信したりしている。私の心が拒否するくらいにパトリック・スチュワートの姿は見るに堪えないつらさがある。
ストーリーはシリーズいちミニマムであり、ウルヴァリンは世界を救う者ではない。というか世界に危機はおとずれていない。実質ロードムービーなのだ、ヒーロー映画ではない。この映画を評して「ヒーロー映画が苦手な人にもお勧め」と言った人がおり、私はそういう言い方があまり好きでないので映画を見る前には、なんだかなと言ったのだが、見終わった今、あーたしかに、ヒーロー映画が苦手な人でもこれは見られるなと思った次第である。ヒーロー映画、のどこに重きを置くかで話は変わってくるが、ともかく。ただ、今までヒーローとして戦ってきた者の悲哀が描かれているため、復習せずに、これだけいきなり見てもウルヴァリンとプロフェッサーXがどういう人なのか、なにが起きてこうなっているのかはわからないだろうとも思う。わかろうと思ったら『X-MEN』(2000年)から見返すことになるので一緒かも。
※以下ネタバレを含みます。
とにかくウルヴァリンが具合悪くて参った。まともに歩けもしない人が、車椅子のちょい面倒くさい老人と、無口で何をしでかすかわからない正体不明の少女を連れて旅をするのである。具合の悪さはやや過剰とも言えるほど。この映画は全体から死臭が漂っていて、私が中見出しに「すっきりした別れとはいかない」と書いたのもそのせい。花束を投げキスを振りまくようなラストではなかった。
「人は変われない、人を殺したら、それが正しくても、人を殺す前には戻れない」、みたいなことを言う映画でものすごく人を殺す。けっこう引くくらい殺し方が残忍である。ローラにとってもローガンにとっても、それは「いまさら」なことかもしれない。「いまさら、人を殺すなと、言われても」。ヒーローであるにも関わらず人を殺す、ということに関しては、ちょっと前にTwitterで話題になっていた「ジェームズ・ボンドが一般人のバイクを盗むのが気に入らない」というのにも通じていると思う。今まで「これは仕方のないことで、何の恨みもないが殺されても盗まれてもしょうがない」というような文脈で見過ごされてきた盗みや殺人の罪を、最後の最後で明らかにし、償わせようとしているのだろうか。もし償いの意味があるとしたら、プロフェッサーXがX-24に殺されてしまうのも納得いく気がする。厳密には同一人物ではないとはいえ、老後の面倒を見るに至るまでの付き合いがあったウルヴァリンがプロフェッサーXを殺してしまう、恨みからなどではなく、というところになにかあるのではと思う。
ちなみに私が好きな順序はこう。『ローガン』を見る前に書いたもの。
『X-MEN:フューチャー&パスト』>『X-MEN2』>『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』>『X-メン』>『デッドプール』>『ウルヴァリン:SAMURAI』>『X-MEN:アポカリプス』>『ウルヴァリン:X-MEN ZERO』>『X-MEN:ファイナル ディシジョン』
— ナイトウミノワ (@minowa_) May 31, 2017
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