
リアルスティールReal Steel/監督:ショーン・レヴィ/2011年/アメリカ
ヒュー・ジャックマンがものすごいダメ親父です。
JUGEMのブロガー限定試写会で見てきました。まことにどうもありがとうございます。
リチャード・マシスンの短編小説「四角い墓場(Steel)」が原作とのことですが、「マシスンの原作の一部分を使ったよ」的なクレジットでですね、原作は未読ですが相当暗い話と聞きます、まあディズニー配給だし、救いのない話ということはないでしょう、と思いつつ見ました。同じ小説を元にした「トワイライト・ゾーン」の「四角い墓場」は、動画を見つけたので下に貼っておきます。こっちはぜんぜん救いがなかった。

あらすじ:スクラップ場で拾ったロボットで戦います。
元ボクサーのチャーリー(ヒュー・ジャックマン)は、時代の流れとともにボクサーとしての職を失い、今はロボットボクシングのトレーナーをやっています。ある日とつぜん11歳の息子マックス(ダコタ・ゴヨ)が出来てしまった彼は、借金返済のためにスクラップ場へ行くのですが…。
※ネタバレはしています。
- おすすめ
ポイント - 子役がうまくてかわいいです。ヒュー・ジャックマンはわりと脱いでいます。音楽はダニー・エルフマンですが、いつものダニー・エルフマンじゃなかったです。最近の映画にしては久しぶりに「日本すごい! 日本はクール!」って言っていました。

テンポがよくわかりやすい話で、無駄なシーンもなく、過剰な説明もなく、かといって説明不足でもなく、そろそろ盛り上がるかなというところできっちり盛り上がり、悪いやつは悪く、ロボットはしゃきしゃき動き、もう、非常に安定感がある映画でした。お子さんにも安心しておすすめできます。
ロボットのかわいらしさという点に関しては、うーん、あんまりかわいくはないです。ちょっと野暮ったいかなー。携帯電話はトランスルーセントなのにホワイトトラッシュの描写が世紀末的というちぐはぐさも気になるところ。

子役のダコタ・ゴヨは「ディフェンドー 闇の仕事人」や「マイティ・ソー」(ソーの子供時代)に出ており、たいへん達者な子供でしたねー。ロボットと一緒に踊るんだよ。それが、子供のダンスにしてはうまいけれども、プロっぽくて嫌味になる手前というかんじで、ちょうかわいいの。ロボットを手に入れて超嬉しそうなところとかも、ほんとかわいかった。
しかもヒュー・ジャックマンよりダコタ・ゴヨのほうがキャラクターの内面が大人なので、しっかりしていてかわいい子供というね、理想だよね、こういう子供。すくすく育ったよ。

ヒュー・ジャックマンのクズっぷりはものすごくてですね、「宇宙戦争」のトム・クルーズと肩を並べられるくらいのクズですよ、だってこの人、人身売買していますからね。
それから、ものすごいキレるシーンがあるんです。叱るとか怒るとかいうより、キレるといったほうがしっくりくる。ダコタ・ゴヨを一人前のおとなとして扱っているゆえのキレっぷりか? とも思いますが、もーちょっとこう、大人の対応をだな…。ちなみにダコタのほうも無茶で頑固だったりするんで、この親子そっくりだなーって思いましたね。

Noisy Boyちゃん。全身に漢字書いてあってバカですねーかわいい。
わたしは(1)おじいちゃんがひどい目にあう (2)動物がひどい目にあう (3)ロボットがひどい目にあう の3つが苦手でですね、その中でも(1)のおじいちゃんはけっこう大丈夫なほう(ひどい目にあっているの見るの辛いけれど、実際に死んでいるわけでないので大丈夫)、(2)の動物は本物だとまったく見られないときがあり、(3)のロボットは、絶対に作り物なのがわかっているから見ることは出来るし、それで盛り上がるし、好きなのだけれど、かわいそうだなあとは思います。「トランスフォーマー」とかね。

「リアル・スティール」のロボットはね、体液どぼどぼ出したり、腕がかんたんにぶっちぎれたりして、容赦ないんです。最初に頭が飛んでいったときは、わたし、全身から血の気がサーッと引くのを感じました。
なぜロボットボクシングをやるに至ったのかを思うと、試合を観戦している人たちは確実にロボットを人間の代替物として見ているわけで、それがさ、頭ぶっとんでワー! って盛り上がる、そのメンタリティが恐ろしくってね。もしかしてすごくグロくてえげつない話なのかな? って思いました。試合そのものも、勝つか壊れる(死ぬ)か、みたいなところがある。だから余計ぞっとしたんです。ただ、感情移入をしているってことなので、ぞっとするのは悪くはないんですよ。
で、全体的な手触りとしては、良い映画なんです。ただ、ちょいちょい気になるところがありましてですね。「この映画はこういうところがダメだけど、でも全体的には良いからヨシ!」みたいなことよくあるんですが、「リアルスティール」の場合は「全体的には良いけど、こういうところがダメなのでちょっと気になっちゃって…」っていう感じでした。
というわけでここからは、あまりよくなかったところの話をします。

一番気になるのは、『ロボットが強くなること』と『ヒュー・ジャックマンの成長』あるいは『ヒュー・ジャックマンとダコタ・ゴヨとの親子関係』に、つながりがないんですね。
ロボットを通じて失われた親子関係を取り戻す、と書くと、ああ確かにロボットを通じてはいますが、『ロボットを試合に出して勝ってお金稼ぐ』ことに重点が置かれているように思うんです。試合に出て相手を倒すことに、『勝利する』という快感、『お金を稼ぐ』という現実的な必要性、以上の何かがあまりない。

親子関係は、たしかにロボットの出現によって変化しましたし、勝つたびに親密度は上がっていますけれど、どうも一味足りないように思うのです。
ではダコタ・ゴヨとロボットの友情物語なのか?(あるいは、ロボットを父親がわりとしてなにか感情移入しているのか?)というと、そうでもないんですね。
ロボットに自我がないことは良いと思っています。自我がありそうなそぶりを見せたのに何もなかったので拍子抜けしましたが、ロボットが感情をもつという展開は描き尽くされたかんじもしますから、まあいいです。ロボットを完全に物として扱い愛着を持っており、良い意味でドライだなと思います。

ロボットと人間をシンクロさせる、ということについて欠点がひとつありまして、主人公たちは、お父さんが戦い、息子はダンスで盛り上げるっていうチームなんですけれども、ラストバトル時にはダンスをしていないんです。なんでここだけ…!
さらに、ラストは完全に「ロッキー」と同じで、いいんですけどちょっと…って思いました。

ただ、それに関しては、むしろそこがいいと取ることもできるのかもしれないなあとは思います。ラストバトルで対戦するロボットの名前はゼウス、「ロッキー」の対戦相手はアポロです。ギリシャ神話でアポロはゼウスの息子なんですよね。それに、なぜそのロボットと戦うことになったのかという流れも似ている。
だからこれ、あきらかに狙ってやっているんですよ。この狙い方を、良く取るかいまいちと取るか、これは見る人次第なので…。
で、わたしはそれをあまり好意的に受け止めてはいないのです。その理由は、上に書いたことの繰り返しになりますけれど、『ロボットが強くなること』と『ヒュー・ジャックマンの成長』あるいは『ヒュー・ジャックマンとダコタ・ゴヨとの親子関係』に、つながりがないことなんですね。「どうしてもアイツと戦わなければならない」という強い必要性もあまりない。それまであちこちで勝って来てそれなりの満足感を得られてしまっているから、どん底から這い上がるためには戦わねばならない、っていうわけではないんですよ。
なぜ『あの映画』が人々の心を打ったのか、『あの映画』で描かれていたものと「リアル・スティール」とを比べると、やはり「リアル・スティール」には足りないところがあると思わざるを得ません。『あの映画』が評価されたのは時代背景もあるでしょうけれど、それらをとりあえずおいておくとしても、やはりどうしても、表面をただ真似てもダメなのではないか、と思うんです。
※「トワイライトゾーン」の「四角い墓場」に、人間同士のボクシングが違法になった世界でアンドロイドによるボクシングが行われており、壊れたアンドロイドのかわりに人間が試合に出なければならなくなるという話がありまして、動画を貼っていましたが削除されました。